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2019年12月 8日 (日)

smoke

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画面映像から伝わらないものに匂いがある。
(写真はモロッコはMarrakeshの水売り。カメラを向けると撮影代を出せとの仕草。フランス語である)

タイトルは「煙」にした。煙というのは古くから思想と強く結びついている。いわば「煙の思想」というようなもので、火を「心」として「薪」を「煩悩」として燃やす。チベットを訪れた時、あちこちで火中に供え物をしていた。これは煙が天に届き「天」が喜び。供え物をした人に「福」が下されるからだそうだ。煩悩というのは人を「刺激」するものである。それを燃やすことで「物質」などを手なずけるのであろうか。このような密教的考えが好きだ。もっとも「恋の炎」を燃やすのはこれはまた別の煩悩であろう。話がそれた。

さて、日本に滞在してしばらくは決まって「感傷的」になる。これはどうしたわけかとつらつら考えると「夢影」に襲われるからに違いない。この「夢影」という現象だが、自己診断したことであるから、傍目には分からないパーソナルなメンタル的で「生」が夢見る「病」であると言っていい😃。
どの作家だったか詩人だったか、すっかり忘れたが(人は精神的な支えなしでは生きていけない)などとこぼしていたのを記憶している。おいらはこのような「精神依存」よりは「充実感」を拠りどころにしているから「孤立を恐れず連帯を求めず」である。わが身に起きた全ての事象は自己依存(自己責任)だと思っている。
だから、能書き(奢り)や言い訳(他者のせいにすること)を蔑むのである。このような奴らは前にも書いたが「わがウンコに臭いなし」のクソ野郎だ。そのようなクソ野郎を避けて生きないと、こちらまで悪臭が移り腐った暮らしを過ごすことになる。


若い頃はあらゆる煩悩に溢れ、新しいものを求め、神秘にも惹かれ、熱狂したものだ。だが、やがて加齢とともに「本質」を愛するようになるものだ。だから前述の「感傷」が「夢影」として現れるのだろう。それは白日夢として目眩を起こすことすらある。その時はドラッグに殺されたい欲望「解放」が顕著になる。そこで、この欲望「苦痛」を収めるためには「煙」の思想が必要となるわけだ😃。それはある意味一つの帰結であろう。帰結とは自分自身が「あぶり出される」ということだ。
感受性はもろく、へこたれ、この今の実人生と不調和を起こさせる。人生における高い調和は困難だから、せめてもう一度「煙」の思想を学びたいと切実に願っているのであります😃

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