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2019年11月21日 (木)

上海

南京から上海までは高速鉄道で1時間40分ほど。日帰りでも気軽に行ける距離だ。
初めて上海に降り立ったのは1997年である。海南島に行くときに経由で立ち寄った。
当時、上海の高層ビルは「東方明珠電視塔(テレビ塔)」だけだった。
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(球体のあるビルが「テレビ塔」)
次に上海に降り立ったのは99年頃だったと記憶している。
初代 南雲海人と北京と上海を周った。
北京の天安門広場では天安門をバックに中指をおったてて記念撮影をした。今の時代であれば処罰される可能性がある。
(写真は初代 南雲海人)
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上海では日本人美術商M氏と合流しどんちゃん騒ぎをした。
そのM氏はモデル出身の超男前。彼は上海のカラオケスナックで吉川晃司のモニカを本家に負けず劣らずのダンスで歌い上げたのだった。
オレはPnuk曲で対抗した。以来オレはM氏をライバルと呼び彼もそれを快く受け入れてくれた。
2008年の北京五輪の時期には3ヶ月程暮らしたこともある。その後も数年に一度のペースで訪れてきた。上海とも何かと縁が深い。

現在の上海は繁華街の南京東路や疎開エリアの外滩などは洗練された都会である。
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一昔前の南京東路には偽物ブランド店やボッタくりバーのポン引きたちがそこら中にいたが、今では完全に姿を消した。
全て、監視カメラとこのパトロールロボットのおかげだろう。
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しかし、上海も一歩路地に入れば90年代後半と変わらない昔の町並みや風景もしっかりと残っている。
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近代的な大都会とレトロなローカルのギャップが上海の楽しみの一つなんだそうだ。
が、上海にはPunkがないし、Punkもいない。
だから若い連中はどいつもこいつも同じようなファッション髪型で町を歩いている。
今ではめっきり数が減ってしまったが東南アジアにも欧州にも都市には必ずPunkがいたし、Punkの痕跡があるものだ。
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Punkがなければ上海はただの退屈な街でしかない。
いいかい、オレにとっては人付き合いも街との相性も全てがPunk基準で決まるてことさ。

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