« 2019年10月 | トップページ | 2019年12月 »

2019年11月

2019年11月27日 (水)

Smell

Photo_16

映像や動画から伝わらないないものに(匂い)がある。

続きを読む "Smell"

|

2019年11月21日 (木)

上海

南京から上海までは高速鉄道で1時間40分ほど。日帰りでも気軽に行ける距離だ。
初めて上海に降り立ったのは1997年である。海南島に行くときに経由で立ち寄った。
当時、上海の高層ビルは「東方明珠電視塔(テレビ塔)」だけだった。
Img_7680_20191121013501
(球体のあるビルが「テレビ塔」)
次に上海に降り立ったのは99年頃だったと記憶している。
初代 南雲海人と北京と上海を周った。
北京の天安門広場では天安門をバックに中指をおったてて記念撮影をした。今の時代であれば処罰される可能性がある。
(写真は初代 南雲海人)
F4c6d49eba3f4d88b764e467b2ea8cd7
上海では日本人美術商M氏と合流しどんちゃん騒ぎをした。
そのM氏はモデル出身の超男前。彼は上海のカラオケスナックで吉川晃司のモニカを本家に負けず劣らずのダンスで歌い上げたのだった。
オレはPnuk曲で対抗した。以来オレはM氏をライバルと呼び彼もそれを快く受け入れてくれた。
2008年の北京五輪の時期には3ヶ月程暮らしたこともある。その後も数年に一度のペースで訪れてきた。上海とも何かと縁が深い。

現在の上海は繁華街の南京東路や疎開エリアの外滩などは洗練された都会である。
Img_7661
Img_7664
一昔前の南京東路には偽物ブランド店やボッタくりバーのポン引きたちがそこら中にいたが、今では完全に姿を消した。
全て、監視カメラとこのパトロールロボットのおかげだろう。
Img_7726
しかし、上海も一歩路地に入れば90年代後半と変わらない昔の町並みや風景もしっかりと残っている。
Img_7696
Img_7694
Img_5209
近代的な大都会とレトロなローカルのギャップが上海の楽しみの一つなんだそうだ。
が、上海にはPunkがないし、Punkもいない。
だから若い連中はどいつもこいつも同じようなファッション髪型で町を歩いている。
今ではめっきり数が減ってしまったが東南アジアにも欧州にも都市には必ずPunkがいたし、Punkの痕跡があるものだ。
Img_0190
Img_4326
Punkがなければ上海はただの退屈な街でしかない。
いいかい、オレにとっては人付き合いも街との相性も全てがPunk基準で決まるてことさ。

|

2019年11月15日 (金)

Changing

Photo_20191126181401
英語で森羅万象は「all things in nature」と書くそうだ。

続きを読む "Changing"

|

2019年11月 2日 (土)

南京生活都很顺利

Img_7708222
南京にやって来て、約2か月が過ぎた。この街でも反日感情等で特に嫌な思いをすることもない。

これが南京虐殺記念館だ。
Img_7868
先日、約20年振りに再訪した南京虐殺記念館についてはPunkな目線で後日改めてリポートしたい。

さて、今勤めている大学だが、中国では国内屈指の名門大学である。
国の定める国家重点大学にも指定されている。が、学生たちは特別頭が切れるとか、驚くほど頭がいいというわけではない。
どちらかといえば、努力家タイプの学生が多い。
中国名門大学の学生というのは天才が揃っているというよりは人並外れた努力家が揃っているようなところなのかもしれない。
そこがこれまで勤めてきた大学の学生たちと大きく異なる部分である。
言ってみれば南京の学生たちは模範学生だ。オレもキャンパス内では模範教師として彼らに接することにしている。
Img_5870
模範教師を装うのも疲れるが笑顔での挨拶と目上を敬う精神はそれを忘れさせてくれる。
毎年、20名前後の3年生たちが日本に留学している。彼らの礼儀正しさには日本人の若者も見習うべきところも多いに違いない。

この南京生活だが、そろそろマンネリ化してきた。
オレはPunkだから決して順調な生活を求めているわけではない。
近場の上海へも何度か訪れているが、そこは中国。Punkの刺激を満たしてくれるような町ではない。
Img_7680
同じ都会でもアナーキーな香港の方がオレには居心地がよかった。とはいえ、今学期も残り2か月を切った。
中国の大学は長期休暇があるから、ありがたい。残りの2カ月はPunkに戻るまでの準備期間でもある。
ビールでも飲みながら、たっぷり充電しておくことにするさ。

|

« 2019年10月 | トップページ | 2019年12月 »