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2019年6月19日 (水)

Changing

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国も街も人も変わっていく。

例えば香港。この「街」に初めて降り立ったのは1972年、台北から南越航空(南ベトナム航空)で飛んできた。当時の香港には米兵が目に付いた。ベトナム戦争中だったからだ。当時の香港には九龍城砦があり、台北からの機内で知り合った香港人のオヤジがそこにワークショップを持っているとかで、泊めてもらったことがある。おいらはバッグパッカーで貧乏旅を続けていたのである。オヤジさんは時計職人だった。また、機内で知り合ったキャビンクルーの日本女性からお誘いを受けて夕食をご馳走になったこともある。この頃、一人旅をしている大学生は珍しかったのかしていろんな人に世話になった。

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写真は1970年代の学生時代。隣の千春ちゃんに論文の書き方などを指導していた(^.^)。彼女は免許取得した18歳の春のある日、彼女の運転する真っ赤なマツダサバンナで神戸の中華街に友人を訪ねたことがある。当時の神戸中華街は香港のような猥雑な雰囲気を持ていた。香港も神戸も返還や地震で大きく変わった。何度も書くが、街というのはそこで暮らす人たちの考え方(思想)が反映される。1997年香港が中国に返還された年にも香港を訪れた。在留日本人の取材である。遡り100年まえの香港は英国が中国から香港を租借した。当時の香港はどのようなものであっただろう。当時の在留邦人はどんな暮らしをしていたのだろう。やがて日本帝国と中国は戦争となり、日本敗戦後に中華人民共和国が成立した。中国にしてみれば帝国列強に奪われた香港やマカオを返せというのは当然の権利だ。しかし、共産党独裁の中国とそれ以前の中国とでは国のかたちが違う。香港の100年前も資本主義である。英国支配とはいえ独裁国家社会ではなかった。それに比べ、中国本土は革命で成立した100年前とは異質の新興国であり、さらに文化大革命に天安門事件を起こした恐怖支配の独裁国家だ。1997年中国で1年間取材したテーマに中国が「香港化」するのではないか、というものがあった。中国は改革開放を進め資本主義的政策を次から次に打ち出していたので中国全土が香港化していくのではないかと考えたからだった、が、それは見事に裏切られた。香港化したのは中国人民の拝金主義だけで、中国共産党政府は香港を中国同一化政策を強く推し進めたのである。それらの反発が現在の犯人引き渡し条例反対大運動に発展した。国も街も政治的経済的変化によってそこで暮らす人たちの思想も変わる。しかし、普遍的な価値がそう簡単に変わるとは思えない。香港の人たちのデモを見ていると、そのことを思い知らされる。さて、わが日本国はどうであろうか。そして自分自身はどのように変わってきたのか。1972年からの自分と国際環境を少し考えているのであります。

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