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2019年5月 1日 (水)

my foreign excursion

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1972年以来何度も旅をしてくると初々しさは消え容易なことでは驚かなくなるし感動もしなくなる。
(写真はBrazilのSalvador遊覧船からのショット)

それでも今もありありと目に浮かぶのはBrazilでの1年だ。コパカバーナのアパートメントホテルでの暮らしとリオデジャネイロの街の美しさ。ファベーラと呼ばれる貧民街の匂い。そこで過ごした時の光景は四半世紀以上過ぎた今でもまぶたに焼き付いている。それはブラジルの旅は受動的でなく能動的な「冒険」だったからだ。つまりリオに恋したようなものであろう。
何度も書くが国も街も人にも「相性」がある。
もっとも相性が合ったからといってそこに永遠を見るわけではない。生身の人間には「業」がある。どこかに(死と永遠に対抗するために、人はそれ自体ただの存在に還元する方法を発見した、それが「麻薬」である)との記述を読んだことがある。これは「恋」とどこかでこっそり繋がっている違いない。恋には麻薬の成分が含まれているのではないか。でなければ恋で刃傷沙汰が起きることはなく「政治的」話し合いで(円満)決着するはずだ。しかし、人は不思議な行動をするのである。
2代目Punk五十嵐のリポートにあるように中国では万里の長城などを建設したし、ピラミッドなど世界中には不思議で不気味な建造物が数多く在る。だが人にはそれらの建造物と違い永遠は存在しない。そこで、旅先では遺跡や自然の光彩などに感嘆の声を上げたくなるのではあるまいか。
話を「女たち」に戻す。
相性というのは占いにされるほど不可思議なものだ。例えば(獄中結婚)などは肉体接触はなく言葉(面会や手紙など)が決め手になる。そこには肌のふれあいやセックスの相性は埒外に置かれれる。お互いが持つ思想や主義に感性などに共振したのだろうか。それともや自然の光彩に感嘆の声を上げた観光客のようなものなのであろうか。どちらにしても旅先で訪れる場所を前もって歴史などを学び、そこで訪れた場所に立ち改めて自分の物語に仕上げてしまうのであろう。
さて、今年古希である。読書をしていても散漫になるのかして過去に出会った「女たち」が行間から現れる。実にいやらしい齢になったものだと嫌悪しながらも、だらしなく記憶の川をさかのぼってしまう(^o^)。川をさかのぼりながら溺れかけ、岩につかまり、岸に這い上がりながらも川上を目指すのだが水源が見えてきたところで下流に流されてしまう。そしてまたさかのぼりを繰り返し疲れウイスキーはバランタイン17年を飲んではブルースを聞くことになる。実に不健康でいやらしい時間である。これが隠遁単独高齢者生活であろう。老人にはこのような孤独が似合うのである。だからといってこの地で果てるのはごめんだ。
ムエタイジムで知り合ったYosiro君がこのようなメッセージを送ってくれた。
「チャレンジャーでなくなったら死んだと同じbyHONDA創業者」
隠遁地の生活環境を整え終わればまたチャレンジャーとして旅に出る。もう、初々しさも感動もないがこれからの「巡礼の旅」のかたちはブルース・リーが言ったように(水)になるのであろう。

ところで、初代の水に交わり溺れれる相性がある女が現れたら、枯れていた初代の水はすぐに沸騰しそうだ。いいかい、人生は楽しむために在るんだぜbyPunk五十嵐(^o^)。

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