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2019年5月16日 (木)

The good The bad and The ugly

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旅立つ前のルーティンは整理整頓から始める。
(写真はPhuketのヨットヘブン近くのcoconutRestaurant)

このCoconut Restaurantの女将は実におもしろいタイ女性で若い頃にタイ人男性と結婚して娘をもうけたが離婚。シングルマザーとして食堂を始めてからは店は出世魚のように大きくなっていった。それは例えばこのようなことを繰り返してきたからである(^o^)。 過日、自由は相対的概念と書いた。女将ペンは自由なのだ。つまり、彼女は(セックスしたことで女を征服したと思っている男に、のぼせるな)というスタンスを保っているのだ。間抜けな男たちは女将とセックスしたことを自慢する。これこそが大きな勘違いで「やった」のではなく「やられたの」である。

男女の関わりは人間の中心課題であると同時になまなましい問題となって現れる。タイ女に翻弄されたオヤジどものうろたえぶりが健気に思えるほどタイ女性はしたたかである。 ヨットライフ時代に仲良くなったタイ人男性のほんどが、タイ女に気をつけろよと、オレに忠告しながら自らも戒めていたのだった(^o^)。にも係わらず気をつけないといけない女に振り回されていた。タイはで母親が家長である。世の男性の多くはマザコンである。まして、タイ家庭に生まれた男性の母への思いは強い。ヨットライフで学んだことの1つに高齢者のガイジンはタイギャルと「友情」で付き合うことである。なまなましい間柄になるとろくな結果にならない(^o^)。

タイ滞在中、日本人高齢者たちをよく見かける。彼らの話を盗み聞きすると、そのほとんどの内容は「女」であった。女に貢いだ挙げ句逃げられた、女に若い男がいた、というようなものである。女に去られたあとの高齢者は自虐的で汚らわしい。連中の自堕落と退廃は留まるところを知らない。連中は失敗を楽しむことでしか自分の自尊心を守れないらしい。それにしても、還暦を過ぎたジャパニーズたちは同年輩とつるみながらもお互い若いと思い込んでいるようだ。鏡に映る己の人相を確かめたことがないのであろう。崩れた自分の存在。老醜に気が付かないのだ。一方オヤジたちを食い物にしたタイギャルたちは周囲のごたごたに目もくれずタイ舞踏のようにしなやかに過ごしているのである。

過日、大阪の友人から「街で見かける高齢者団塊の世代の評判悪いです。人口が多かったせいでしょう、わがまま勝手ですぐキレるし、キレた爺さんのみっともなさ、気分が悪くなります」とメッセージがきた。そのような高齢者は屈折した自己表現しかできないのだ。それがキレる行為になる。連中はあるがままの自分の心を観察して、それを知る能力が欠落しているのだ。そんな連中はかつて一度も眼元が涼しく、鼻筋が通り、口元がきりりと締しまった青年であったことがない。歪みねじれた心しか持ち合わせていない。キレる高齢者は不平不満をぶっつけている社会は全て欠陥だらけで自分たちだけが正しいと確信しているのだ。この「確信」こそが高齢者を「狂気」(キレる)に走らせている。このような狂気に理性的な説得は敗北する。だから、そのような連中と遭遇した場合キレ返すほかない。ムエタイのキックか右ストレートで正気に戻してあげましょう(^o^)。

カテゴリー「女たち」から逸れたが続ける(^o^)。タイやフィリピンによく行くので、馴染みの店で酔客のおっさんどもから「これでっか」と小指を立てられたことがよくあった。左フックから右肘打ちをかましたいところだが、そこは老人らしく微笑がえしで店を出る。日本でも、バンコクでも、どこであれジャパニーズ高齢者たちとは交わらない、関わらない、無視することに決めている。それが(連帯を求めず、孤立を恐れず)となる。

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