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2019年4月 5日 (金)

Her Name Is Sajin

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人生の妙味は出会いにある。

出会いは「神の摂理」と形容したり、日本的には「縁」という。袖擦り合うのも多生の縁、であり、つまづく石も縁の端くれ、となる。もっとも縁が長続きすこともあればそうでない事もある。その場合は縁がなかった(^^)で片付けるほかない。蛇足だが、船乗りは長い航海で暇を持て余したときに「袖振り」をするそうだ。この場合の「袖振り」とは他愛のない話のことだそうだ。
さて、不思議な出会いは処女作「コカイン」を上梓した年であるから1991年のことである。夏であった。週刊「SPA」のTさんと大阪は南のバー「bit」でベトナム取材の打ち合わせを終えて飲んでいた時のことである。Tさんの「南雲さん」の声にカウンター席にいた女性客から「南雲さんて、あのコカイン書いた人?」と声をかけられたのである。Tさんは「これはヤラセですよね、仕組んでたんですよね」と笑ったが、そうではない。女性客は二人連れで仕事を終えたホステスで二十代である。おいらは40代になっていた。「ほんまに読んだんか?」「読んだよ」「それならラブはどうなった」などと質問すると正しい答えが戻ってきた。そこで、われらのテーブル席に招待して「袖振り」とあいなった。しかし、おれは明日からベトナムである。デートは帰国後に持ち越された。

ベトナム取材は二度目で週刊「SPA」に記事と写真を短期集中連載することであった。
この取材でも出会いがある。まず通訳を探さなければならない。そこで英語学校周辺のカフェで(張り込んだ)のだった。当時はまだロシア語やフランス語を学ぶベトナム人が多くいたが、1986年のドイモイ(刷新政策)によってかつての敵であった米語を学ぶ若者が増えていた。
カフェでの張り込みは正解で英語で相互学習しているベトナム女性の二人組が現れた。Helloと挨拶。当時のホーチミン市にはホンダギャルと呼ばれる売春婦たちが多くいた。彼女たちは片言のビジネス(^^)英語はわかるが取材通訳には無理だ。こちらをいぶかしがる二人組に身分を証すと彼女たちが日本に好意を寄せているのが分かった。この二人のうちミスターンが1日5米ドルで通訳をしてくれることになる。彼女の話はSPAに書いたので省く。
ベトナムだが、1979年にカンボジアに侵攻して中国派のポル・ポト政権を崩壊させベトナム寄りの政府を樹立させた。中国からみればそれらはベトナム戦争時支援してやった恩を忘れた裏切り行為であり「懲罰」としてベトナム国境守備隊を攻撃した。が、戦争経験豊富で装備の近代化をしていたベトナム軍に中国人民解放軍はボコボコにやられ多大の損害を出して撤退。ベトナ人の反中国感情はこの取材当時も強く残っていた。

話しを戻す。
わが処女作「コカイン」の読者とはベトナム取材を終えたあと大阪で落ち合った。話題は旅とドラッグ(^.^)。飲んで笑って盛り上がり一緒にインドへ旅することになる。この旅の話続きはまたの機会に(^^)

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