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2019年4月25日 (木)

I got stoned(^^)

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巡礼の旅にこれといった目的はない。わが人生にもそのようなモノはない。

初めての海外は台湾だった。1972年である。本土復帰をしたばかりの沖縄から飛んだ。台湾に行くことになったのは「出会い」である。那覇で知り合った大学の先輩(といっても沖縄で初めて会ったのだが)がTV関係の仕事で台北に行くので荷物運びとして雇ってくれることになった。スタッフに欠員が出たのであろう。ちょうどオレは初めて申請したパスポートを持っていた。沖縄返還前に沖縄を訪れるつもりで用意したパスポートだ。返還前の沖縄はアメリカ統治下で旅券が必要だったのである。
さて、台北での撮影場所は勝新太郎と共演した台湾俳優の経営するレストランだった。照明器具の扱いは自主映画制作で慣れている。テキパキと仕事をこなした。撮影後は俳優が選んだ中華料理をたらふく食べた。先輩はギャラとして3万円(当時のオレの1ヶ月の生活費に相当する)をくれて、これで台湾一周でもしろと言った。
これがわが旅の出発点である。
撮影クルーが帰国したあと、ホテルのバーでピアノ演奏している台湾青年と仲良くなり戒厳令下(当時の台北は戒厳令発動中だった)の街を闊歩した。街のいたるところには「大陸反攻」などのスローガンが書かれていた。ピアニストは銀行ギャングをして金を奪ってアメリカに行きたい、手伝ってくれないか、と笑った。その夜、彼の家に泊まることになった。彼の家は高級住宅だった。翌朝、彼の母と一緒に円卓を囲んで朝食を頂いた。彼の母は旅行会社を持っている実業家だった。
そのあと、台北から電車で台南、高雄、東海岸はバスを乗り継いで花蓮に来た。台南ではピアニストに紹介されたキャバレーのホステス、高雄では安ホテルでバイトしていた女子高生、そして、花蓮では日本語を話す台湾オヤジに連れら「銀馬車」というレストランバーのウエイトレス静さんと仲良くなった。
もっとも、このようなナイスなことばかりではない。高雄の駅ではタバコポイ捨てしたことをキッカケにオレはそこいらのおっさんから糾弾されたのだ。連中はオレの長髪やファッションが気に入らなかったのだろう。1972年はベトナム戦争中で、長髪は反戦ヒッピーを象徴していた。台湾はアメリカと共にベトナム戦争に参加していた。この頃のシンガポールは長髪男子の入国を拒否していたのである。
ともあれ、この台湾一周の旅でオレの「旅のかたち」が出来上がったようである。それは、みんなが暮らしている日常や社会を見ることであった。みんなの中にはドラッグデーラーや売春婦や様々な人がいただけのことだ。そして、わが人生に最も影響を与えた「女たち」がいた。

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