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2019年2月20日 (水)

My life in Bangkok

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日本にいるいろんな方から、バンコクで何してるんですか、と質問される。

早稲田大学を今年2月に定年退官された山崎教授は「(定年後)南雲さんのような自由人になれるかな」とおしゃっていた。自由だが(空を自由に飛ぶ鳥ですら空という鎖から自由になれない)てな詩を読んだ記憶がある。ボブデランだったか。
それはさておき、例えば孤島に1人で動物たちと暮らしたロビンソークルソーは人として生きたと言えるだろうか。人は人と交わって人になる社会的生き物である。人は人である為には(社会という鎖からは自由になれない)のではないか。南雲は自由人、そう思われているようだが(自由)は(不自由)になって分かるようなもので、自由とは(不幸でない状態)を幸福というようなものではないか。
話を戻す。
バンコクライフは大人の時間割に従って過ごしている。起床8時、朝食はヨーグルト、パイナップル、コーヒー。9ー11時はジム。ジム後はコンドに戻りサウナとプールでクールダウン。昼食はランチボックスか食堂でビールといただく。午後はシエスタ昼寝をしたあと、ネットで読書や調べ物。最近は仏教関係が多い^_^。
夜の帳が降りる頃になると徘徊老人と化す。わが徘徊はテーマを決めている。最近は麺巡り。この前はフットマッサージ店巡り。路地散策などなど。
わが街だが、バンコクでは誰もが知る有名な風俗街でもある。この街は昼と夜とでは全く別の顔になる。暗闇が人の善良な部分を覆い隠すからだろうか。いかがわし街に豹変した空間にスケベオヤジたちの百鬼夜行が繰り広げられる。彼らは必ずつるんで行動するし、似たような人相と似たようなファッションである。何度も書くが老人は孤独がいい。
話を自由に戻す。
自由とは辞書によると、他から束縛を受けず自分の思うままにふるまうこと、とある。しかし、自分の思うままにふるまうと、他と摩擦が起きることもあるだろう。ならば、他と交わなければいいのではないか。
バンコク生活は社会的生き物として最低限のコミニケーションで過ごせている。世界各国からやって来たジムメンバーとは英語、食堂やマッサージ店ではタイ語単語で事足りる。これまで(不自由)を感じたことはない。むしろメンバーとは楽しく、食堂では愉快に過ごせている。ようするに全て自分で考え単独行動をすれば何事にも煩わされず快適に暮らせるわけだ。
自由は自己責任であるから他者のせいにしたり、言い訳も出来ない世界である。孤立を恐れず、連帯を求めない!これは国内でも海外でも同じだ。自由時間は仏教哲学を学んでいる。いつ南無阿弥陀仏になってもいいようしっかり仏様の教えを身につけたいと考えているであります^_^。

ところで、2代目Punk五十嵐から。
「先週、ヨーロッパから帰国しました。極寒のハルビン、ウラジオストクを散歩したおかげで、欧州の冬は余裕でした。帰国後日本では病院、免許の更新の済ませ、来週、中国に戻ります。
ロシア人は、一見無愛想ですが、話してみると、人懐こい人が多いので楽しめると思います」

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