« 天气渐渐变冷了(寒くなってきたぜ) | トップページ | Motivation »

2018年11月24日 (土)

blow in the wind

D688d336244c4e8d9d2c7dc9962dd000
「空を自由に飛ぶ鳥ですら空という鎖からは自由になれない」
これはボブデランの詩だったと思うが定かでない^_^。

自由とは不自由の対極にあるから自由な人は自由を感じないのかも知れない。そもそも人間にとって絶対的な自由というのが存在するのであろうか。空という鎖と形容されるように人間は集団でしか生きていけない哺乳類であるからして、人間社会の「鎖」からは自由になれないことになる。と、考えていくと禅問答になり蒟蒻問答にってしまうから自由とはなんぞや、人生とはなんぞや、と問うこと自体が無意味なのであろう。
人生における疑問に必ずしも答えは必要ではない。答えを求めるのが人生ではないのではないか。答えのない質問をしても答えがないのだからどうしようもない。答えを求めるとすれば宗教へ向かわざるを得ない。
例えば、わが自由は気の向いた時に旅に出てボクシングやムエタイで鍛え、そこで知り合った人たちと楽しく過ごすことに他ならない。つまらない事に関わらず、つまらない人とは付き合わない。これが引退後「集団」から離別したわが自由になる。
今バンコクにいる。
住まいのコンドミニアムの15階から見るバンコクの夜景も、隠遁生活地のテラスから見る夜景も六甲山、香港、NY、リオ、マラケシュ、エルサレム、イスタンブール、バロセロナ、その他からの夜景も感動は一瞬で、見慣れてしまえばどこにいても同じように思えてしまうようになった。
このような「感慨」は興味の対象が「他」や「外」でなくなった事を意味しているのだろう。他外への興味は加齢とともに消えていくものかもしれない。ヨットライフも6年で飽きたし。それ以降続いているのは肉体から学ぶべくして始めたボクシングとムエタイぐらいか、ゴルフもするが真剣になったことがない。もっとも無理して興味の対象を見つけたところで、そんなものは長続きしないだろうし、もし仮にそんなものがあったとしても遅すぎる^_^。
話を変える。
バンコクでの愉しみはムエタイジムで出会う人たちとのたわいない会話であったり、お惣菜屋で弁当(120円ほど)を注文するときのやり取りや深夜食堂でのひと時ぐらいであろう。
ジムのメンバーのタイ人のほとんどは英語が話せるし日本にも訪れたことのがある。
馴染みのお惣菜屋のおねーちゃんも英語が話せる。あんたムエタイに通ってるんだ、あたいもムエタイジムで練習したことがあるけどハードで1回でやめたわ、え、あんた69歳になるの、うちの父は50歳だけど、それぐらいに見えるよ。おいらがタイ語で丁寧いお礼を言うと、発音を直された。
このような触れ合いが実に心地よいのである。

セブでの宿泊先はほぼ決まっているし行動範囲も限られている。現地にはボクシング仲間もいれば在セブ中国人や韓国人夫婦の友人も出来た。馴染みのレストランに日本女性経営のジャズバーもある。セブ定番観光のジンベイザメ餌付けには興味はないし、カジノも嫌いだ。だから合宿のように大人の時間割を決めて明るく元気に気持ちよく過ごせている。文句があるのはセブ市内の交通停滞と排ガスだ。歩道などのインフラも整っておらず実に歩きにくい。散歩の達人としては不向きな街である。

海外に出たからといって特別なこともなく普段と変わらない日常を送っている。
今回のセブでは歯科医に通った。歯科医は中年の女医さんで随分とアーユルベーダがお気に入りのようで、胡麻オイルでうがいをする事をしきりに勧めた。この時、本物のアーユルベーダ病院に入院したことがあるけど、あれはダメだったよ、と言いかけたが言葉を飲み込んだ。
前回のバンコクライフでも足親指亀裂骨折時もドクターやナースとの治療費支払いについてやり取りを楽しんだ。最初ナースに料金を尋ねたのである。彼女はレントゲンと診察で3000バーツ(1万円ほど)と応えたが、医師は足親指をテーピングしながら、海外保険があるのかと聞くから、ある、と答えた。治療が終わり窓口で請求されたのは7000バーツで倍以上になっていた。ドクターに内線を繋いでもらい理由を尋ねると、その応えは、君は一時立て替えてるだけでしょう、全額保険がおりるからマイペンライ(無問題)であった。

日本ライフの隠遁地の歯科医夫婦も愉快な人たちであるし、丁寧で安心な治療をしてくれる。4年前の鎖骨骨折時の女医さんも素敵な人でついつい餃子とビールに誘ったことがある。
街や国はどこでもよく、要は人との出会いに尽きるのではあるまいか。そして風景がいかに変わろうとも自分の内面がそれらの風景や環境によってなんらかしらの化学反応を示さなければ興味は湧かないものだ。
そういう意味ではリオ・デ・ジャネイロでの1年がまさしくこれに当たる。この時は取材同様明確な「主題」を持って臨んだ。このリオの街では観光スポットを訪れたことは1度もなく、週末はサッカー観戦でマラカナンに通い、平日は毎日のようにファベーラと呼ばれる貧民街に通った。この貧民街で南雲海人が生まれた。これらの話は小説「コカイン」書いたので省く。

冒頭に書いたが、こうしてブログを書きながらわが興味の対象は外から内に移行していると思われる。他外の興味はスケッチしたくなるような人との出会いや、こうして自分自身を自画像を描くことが「興味」であるのだろう。それでも、なんでそのような事をしたくなるのだろう思う。
そうすると次から次に疑問が出だし冒頭の人生とはなんぞやに行き着くのである。そして、その答えはタイトルである「The answer is blow in the wind 」てなことになる。と、書く69歳、なんちゃて^_^

ところで2代目Punk五十嵐 はこの冬、ウラジオストックから中朝国境の街を旅するらしい。気温マイナス10度になる土地だそうだ。彼曰く、そのような所を旅すれば冬の東欧はポカポカ気分で過ごせるんじゃないかと思って、だそうだ。確かに真っ黒に日焼けしたパンクは如何なものかとは思うが、モヒカンが凍るパンクもね寒そうだ。
ともあれ来年はまたぞろバンコクでPunk五十嵐と合流する。ヤツの人生の答えは決まっている。
「いいかい、人生は楽しむためにあるんだぜ!」

|

« 天气渐渐变冷了(寒くなってきたぜ) | トップページ | Motivation »

初代 南雲海人」カテゴリの記事