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2018年9月15日 (土)

Style of my journey

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海外に長くいると日本は旅先になる。

旅先だが不景気な国や町がいい。少ないカネで金持ちになった気になれるし、少額のチップでなんかしら偉くなったように思ったりする。随分と上から目線で意地悪だが、居心地は決して悪くない (^O^)。
これが先進国になると逆転する。
ガイジンコンプレックスがあるのかして卑屈になったりする。これは自分が黄色人種でアジア人であることをいやが上でも認識させられるからだろ。そのくせ、同じアジア人でもお隣の国などの人間と間違われるとムキになってアイアムジャパニーズと叫ぶ。このあたりが島国根性であろう。
ともあれ、巡礼の旅はまだ続く。
次回はミャンマーとカンボジアだろうか。ミャンマーは自宅軟禁中のアウン=サン=スーチーと会談したことがある。当時のミャンマーは今と同じ軍事政権であり、その後ろ盾は中国である。その構造は今も変わらない。ただスーチーが政権内に入ったことを除けば。
彼女の夫は英国人でチベット研究家であった。スーチーへのノーベル平和賞は対中国政策の一環で与えられたとうい説が有力である。そのスーチーはロヒギャン政策や表現の自由をめぐり欧米からノーベル平和賞を返却せよ言われている。スーチーもスーチーだが返却要求す連中も随分と勝手なものだ。そのミャンマーはこの10月からビザ免除される。
カンボジアはポルポトの爪痕を取材する旅だった。だから楽しい記憶はない。あるとすれば、バイク運転手の家に招かれ食事をした時のことぐらいである。この時はバゲットとパテを出され、その美味しさに驚いた。なにしろ彼の家は不衛生な村にあり土間と粗末な掘ったて小屋だったのである。
過日、サムライ慎之介がプノンペンでムエタイの試合に出場した時の話を聞いたことがある。プノンペンは今も昭和な感じだそうだ。しかし、その反面、風俗街も現れてもいる。
バンコクでムエタイジムに通う日々は旅ではない。ありふれた日常である。日常であったも、そこには「出会いと別れを繰り返し、やがて、ひとつの物語が生まれる」のである。その意味では、日本では作り得れない物語の中の主人公になれるのである。
日本では観光客気分でなければ過ごせない。生活者になってしまうと、漠然とした不安に陥ってしまうからである。この漠然としたというのが曲者で、ややもすると鬱になるようでもあり、絶望するようでもあり、発狂してしまいそうな(気分)になる。高齢者の犯罪の根源動機はこの辺りにあるのではないか。キレる高齢者になりたくないので、日本にはガイジン気分で過ごすことにしているのであります。

ところで2代目ことPunk五十嵐は新しい赴任地に着いた頃だろう。ヤツのことだ中朝国境あたりを旅して、またぞろ世界の下半身取材でもしていることだろう。

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