« 您已进入公共监控路段,请自觉遵守公共秩序 | トップページ | 謝謝!広東省! »

2018年8月12日 (日)

don't think feel ^_^

0df8177e5ca34adab903d2f454cc6637
タイトルはブルスーリの映画での台詞である。

ムエタイジムに通い70回目を過ぎた辺りからトレーナーたちに色んな技を教えてもらえるようになった。
格闘技には心技体が求められる。技は反復練習で身につける。体も日々の練習でつけていく。しかし、格闘技で最も重要な「心」は肉体から学ぶことによってのみ強くなれるのである。
脳で考えていては身体への反応が一瞬遅れる。
相手がこう打ってきたら、こうする、など予想しても外れたら対応が鈍くなる。精神を研ぎ澄ますのは脳ではなく、肉体そのものが砥石になることによって精神を鋭くさせ、鋭くなった精神が肉体を磨き上げるのである。この循環に脳はあるいみ不要である。学ぶべきところは肉体と精神にある。だから、考えるな、感じろ!の台詞が出てくるのだ。
さて、わが肉体は疲れ、精神は鈍くなるばかりである (^O^)。
筋肉は年齢に関係なく鍛えられるのだが、内臓はどうやらそうもいかないらしい。まず、肉体だが、膝や肘を痛め、腰痛から背中痛を経て良くなったように感じている。痛みがまだあるのは古傷と言える膝と肘、これらはキックと肘打ちで痛めたものだ。慢性腰痛は昔椎間板ヘルニアを患った後遺症だが、ムエタイを続けているうちに収まったり、再発してりするが、何もしないでいる方がかえって悪くなる。こうなると肉体護持は自転車操業でペダルを漕ぐ(鍛錬)のを止めるとパタリと倒れるのではないか。そのような脅迫概念に襲われジムに通うのである (^O^)。精神の方は肉体から脳に「心変わり」をしたのか「言い訳」をするのである。つまり、(もう、いい年なんだから)(内臓は鍛えられないんだよ)てな囁きに心が動かされるのである。
ここで、そうだな、そうしよう、と脳が肉体に命じると、心が折れることになる。脳の命令を駆逐するのが精神である。大げさな例だが、ベトナム戦争中に僧侶が反戦の焼身自殺をしているニュースを見たことがある。その僧侶は己が焦げ死ぬまで合掌したままであった。
肉体からの痛さを脳が判断して肉体を保護しようとするのだが、その脳の判断を凌駕したのが精神であるといえよう。この精神を鍛えるのは鍛錬や修行ということになる。
わが鍛錬や修行は実にしんどい。しかし、このしんどさの果てに冷やっこいビールが美味しく飲めると思うと、明日からがんばろうと思うのである (^O^)。

ところで2代目ことPunk五十嵐 は9月から中国東北部に赴任するらしい。10年も暮らした広州には慣れきってしまい、旅している感覚が麻痺したそうだ。何度も書くが、生活することと、生きることが対立することがある。われらの「精神」がまだ旅を求めている間の日常は生きることが優先される。旅を終えた時に生活が始まるのだ。それまでは大いに楽しもう。人生は楽しむためにあるんだぜ、であります (^O^)。

|

« 您已进入公共监控路段,请自觉遵守公共秩序 | トップページ | 謝謝!広東省! »

初代 南雲海人」カテゴリの記事