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2018年7月17日 (火)

ask yourself

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取材には鷹の目と蟻の目を持てと教わった。

引退後もこの見方は癖のようになっている。もっとも取材対象は自分であったりする。幽体離脱したように自分を俯瞰してみたり、足元を見つめなおしたりする。
話を変える。
例えばストーカーのような連中は自分を俯瞰して見ない。確固たる歪んだ欲望だけで行動する。この「確固たるもの」こそが「狂気」だ。連中は狂っているから、なにしているんだろう、と自らを問うことはない。自問しないから恥じることもない。そもそも連中には「恥じる」という概念が欠如しているのだ。このような恥知らずな連中が起こす事件は弱いものいじめと同質である。連中はその人相学上平凡で犯罪を犯すようには見られない。だから始末に悪いのだが、その点「本物」の犯罪者は犯罪を職業にしているから分かりやすい。
話を戻す。
どこにいても蟻の目と鷹の目とで自分を見ることにしている。蟻の目は自分の日常である。鷹の目は自分の歴史であったりする。この両方の目でいろんな人との出会いを見ていると出逢いはつくづく「神の摂理」だと思わずにいられない。とりわけ海外で出会う国籍も年齢も違う人たちからは大いに楽しくさせてもらっている。これが海外にいる最大の理由であろう。つまり(楽しくなければ人生ではない)のだ。
さて、ジムの後はサウナとプールでリラックスしてランチとビールである。このルーティンも癖のようなもので、プールに浮かびながら、なにしてるんだろう、とは考えない。実は何も考えられないのである。このような感覚がリラックスというのであろうか。そもそも精神的緊張もストレスもないからリラックスというより「無」に近いのかもしれない(^O^)。

ところで2代目 Punk五十嵐はウクライナはキエフに向かった。安い航空券は30時間かかるそうだ。かれは世界の下半身の旅だけでなく、アウシュビッツなどを見学したりナチス犯罪に関する書物も読み研究している。なぜなら彼はパンクであるからだ。パンクは権力の対極に存在するのである。

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