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2018年5月30日 (水)

reading on rainy days

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雨の日は読書である。
(写真はインドのヴァラナシ。聖なるガンジス河に牛の糞や下水が流れ込む。聖なることと清潔であることは関係ないようだ)

本の殆どは古本屋に引き取ってもらっている。隠遁生活に入る前、手元においていたお気に入りの本はお気に入りの人にプレゼントした。必要であれば図書館に行けばいいだけのことだ。いま残っている書物はごく限られている。
文章とはおもしろいもので、昔読んだ同じ文章が時空と共に別の意味を与えるのである。それは何も書かれていない行間に新たな文章が浮かび上がようである。経験体験してきたことの中の無意識が意識的行動を起こさせたのだろうか。ともあれはそれは読書の喜びである。この喜びは漠然とした不安を払拭する効果がある。だから読書はやめられないとまらない(^O^)。
さて、孔子の言葉にこういうのがある。
「吾未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」
学生時代、心理学の授業でフロイトやユングそしてライヒなどを知った。しかし、どうしたわけか心理学をちょいかじるうちに中国思想に興味を持ったのである。当時の中国は文革中で毛沢東語録をお経のように唱えられていた。クラスメイトだったか赤いビニール表紙の手帳サイズの毛沢東語録をもらった。クラスメートの父はソ連(現ロシア)に招待されたことのある戦前からの共産党員だった。
クラスメートは毛沢東を小馬鹿にしていた。そのバカさ(非科学的)を証明するために語録を読ませたのだった。しかし、語録はおもしろい。語録は標語であり俳句のようでもあった。「吾未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」みたいな文章で政治スローガンを表明しているのである。
トランプ大統領の選挙コピーも短くわかりやすい。前大統領のオバマはWE CANだったか。政治スローガンは短文でわかりやすいのがウケる。小泉元総理は自民党をぶっ壊しますである。
話がそれた。
中国思想は性善説と性悪説の対極が基本にある。中国時代劇映画のテーマもこれだ。毛語録のおもしろさは荒唐無稽にある。また当時の中国共産党の宣伝国際放送での教訓になる逸話が壮大だったりする。そんなアホな逸話や講話が国際放送が日本にも届いていたのである。
「日本の友人のみなさん同志のみなさん、こちらは北京放送です」で始まる放送を聞いていた。この放送のMCはまじめにそんなアホな話をするこでコントの会話のように聞こえて笑ったものだ。しかし、今、例えば「愚公山を移す」という話を再読すると、ふーん、壮大な計画だったんだ、一帯一路もここから来ているのかもしれないと思われ感心してしまうのである。
ガキの頃、大阪ー東京が3時間で走れる電車ができると聞いたとき、そんなアホな、と思ったものだが実現している。科学や技術の進歩は凄まじい。だが、人間そのものはどうだろう。
人は進歩しているのであろうか。自分は進歩しているのか、成長しているのか、と自問してみるが、進歩はどこかで止まり、成長は身体だけだったようである。
そもそも進歩や成長も人に似合わない言葉で、どうでもいいことなのではない。つまり「吾未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」ということではないのか。それよりふと目にした文章や文字によって思い出したくない事柄(なんであんなことをしたのか、言ったのか)が蘇る心理状態が問題である。隠遁生活と読書は食い合わせが悪いようだ。
隠遁生活老人は「孤立を恐れず連帯を求めず」毛語録の「矛盾論」でも読むのがよろしいようであります、て、なにを書いていたんだか、自分でもわからへん(^O^)。


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