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2018年1月 3日 (水)

Determination

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今年こそラスト小説を書き上げる。そのつもりでここに移ったのだが....

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これまでの取材ノートをめくるとメモした当時が蘇るのだが、全く記憶にない走り書きがあったりする。古いノートは学生時代からのものだ。沖縄返還時の那覇のことや那覇の職安に行ったこと。仕事が見つからず、出逢った先輩に助けられて台湾に渡った。そして香港に流れたこと。いろんな人に会い救われたことが細かく書かれていた。また意味不明の文字が並んでいたりする。これは「詩」のつもりであろう。また日記に海外取材メモや英語勉強帳などもある。
これらの中からラスト小説に必要な部分を書きのこしているのであるが、ついつい読み返し時間が過ぎていく。これではいかん(^O^)。年明けから断捨離決行!
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ノートはこのダンボール3箱に積め込んでいたが、いまはこの1箱になった(^O^)。そのなかの1冊に小説「コカイン」制作ノートである。そこに「新しい時を受け入れる用意をするためには過ぎ去った時を忘れなければならない」と記されていた。
環境を変えたのは、このことが無意識に働いたのかもしれない。断捨離も物だけでなく者も思い出も、そして過ぎ去った時も捨てなければならなのだろう。ものを書くという行為は絶対的な孤独のなかでしか作用しない。そういう意味での環境を変えたことは良い方向に作用すると思われるのだが。最高の環境はリオだった。本来は処女作を書き上げたブラジルに回帰してデスクに元気の素印の小山を築いて一気に書き上げるのがベストであろう(^O^)。
さて、ラスト小説はこれまで何度か試みてきた。
しかし、どれも書き続けることができなかった。それは制作ノートのような明確な骨組みが出来てなかったからだろう。そこで、今は骨格を組み立てる作業をしているのだが、組み立てては崩れる。土台が弱いのかしてグラつく。ということは、それほど書きたい(わけ)がないのかもしれない。
何かしたいこと、それが見つからないときは無理して探したところで大したものではない。それなら、したいこと、書きたいことが見つかるまではなにもしないほうがいいのではないかとも思ったり(^O^)。
話を変える。
いつの世にも男女問題がある。不倫なる言葉が当たり前のように使われる。不倫とは元来不道徳の極みだが、どっこい不道徳こそ男女を結びつけるものなのだ。そして、不倫男女は快楽を思う存分味わい尽くそうとする。将来(バレること生活が壊れること)を恐れる快楽はニセモノである。だからニセモノ不倫がバレた時に連中は必死に否定するのである。これはホンモノの快楽に対して恥ずべき行為だ。
古今亭志ん朝の落語の枕に「人の女房と枯れ木の枝は登りつめたら命がけ」というのがある。不倫であれ、ものを書くという行為は「命がけ」であらねば本物の快楽(達成感)は得られないのだ。もっとも(達成感)を得られたあと、しばらくするとまた書きたくなる。これはセックスと同じで射精したあと、もういいと思っても時を経ればまたしたくなるのに似ている(^O^)。
話を戻す。
機内用にカズオ.イシグロ「わたしを離さないで」を購入してある。我慢して8日の機内で読むためページを開けない。なぜなら書店員にイシグロ作品のどれがが好きかと問うた時、彼は迷わずこれを推挙したからだ。
学生時代の大学ノートには読んだモノや見た映画の寸評も書き残してあった。そのほとんどは好きか嫌いに分けられている。学生時代過激派の機関紙の見出しに「生きるか死ぬか、革命か反革命か」があった。過激派はどうでもいいが、このコピーはシンプルでわかりやすく、今も気に入っている。取材ノート、捨てるか、残すか(^O^)。作業は今日も続くのであります。

ところで、二代目ことPunk五十嵐は年明けから面談と採点を続け、その合間に東欧ギャル情報をゲットしているらしい。彼のようにやりたいことが明確にあるのは生きやすいのではあるまいか。
いつだったか彼に言わせるとこの世にはPunkかそうでないかの2つの価値しかないとのことだった(^O^)!


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