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2017年12月25日 (月)

Kick Road Tony(^O^)

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射手座生まれは外の世界に憧れるそうだ。

司馬遼太郎さんが「この国のかたち」を書いていた頃、おいらはその本の熱心な読者であった。日本という国の成り立ち文化など面白く拝読した。司馬さんがお亡くなる少し前、NHKのTMZWさんと一緒していて(司馬さんと会う予定があるので君も来ないか)と誘われた。しかし、その後、司馬さんの体調が崩れ事態は急変してお会いする機会をなくしてしまった。司馬さんはあの世に逝かれたが著書はこの世に残っているので、たまに読み返してはニンマリしている。
わが処女作「コカイン」は原稿用紙に鉛筆で書いた。書きおろしていたのはリオで元気の素をデスクに山積みにしていたのである。そのおかげで3ヶ月ほどで脱稿した(^O^)。その合間にも司馬さんの「龍馬が行く」を読んでいた。龍馬も外の世界に憧れていたようで、小説でありながら文章の中から龍馬が浮かび上がってくるのであった。書いた人も書かれた人もあの世だが今も存在感がある。それは文章の持つ力が彼らを目前に蘇らすからだ。
誰からだったか、学生時代「一行も書かない詩人はいるが、一行も書かない作家はいないんだよ」といわれたことがある。20歳のおいらは詩人という言葉に憧れていたので詩を書いていた(^O^)。ランボーやボードレールを読み耽っていて詩人に(かぶれた)からである。
そんな詩でも友人の印刷屋が無料でわが詩集「皆既食の詩」を出してくれた。それを学友に1冊500円(当時、早稲田ランチは150円ほど)で押し売りした。おいらは無頼派にも憧れていたのである。売れたカネで印刷屋と飲んだ。
学生時代の後半は定住場所がなかった。
アパートを借りるカネがなかったからである(^O^)。それで、友人の部屋に寝袋を持ち込んで泊めてもらった。また(オレは彼女のアパートで同棲を始めたので、オレの鷺ノ宮の部屋を使っていいよ)といってくれた学友もいたのである。しかし、その部屋には長く住めなかった、学友が彼女に追い出され舞い戻ってきたからである(^O^)。ちなみに彼は卒業後故郷広島の廿日市に戻り就職した。あだなは「ぼん平」という。
ふと思い出す(^O^)。そして、今の自分の状態を思うと、当時と変わらない射手座の自分がいることに気がつく。つまり、外の世界に憧れているままなのである。
これまで世界のあちこちを訪れた。学生時代後半と同じでこの国のこの街で「定住」したいと思う場所はなかった。国内でも定住したい場所はない。場所や物に興味がないのであろう。素晴らしい場所も、貴重な物にもすぐに厭きてしまう。
これはガキの頃から身に染みついたものだから、どうしようもない。どうしようもないから、どうにかしようと思わない。ただ、これからも旅を続けるだけである。旅だが、これもまたどうしようもないものだが、他にどうにかしたいことが浮かばないから、旅を続けるしかないのである。
ただ、ちょいとした悪巧みは持っている。それは、このブログを読む人を羨ましがらせてやろう、ということだ。
もっとも、羨ましがってくれるのか、気の毒な人生だと思うのか、どうでもいいといえばどうでもいいことだけどね(^O^)。

ところで、二代目ことPunk五十嵐はこの冬も東欧に行くそうだ。おいらは寒いところは苦手だ。タイでムエタイジムに通うことにする。帰国はポカポカの頃gawk
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