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2017年9月 4日 (月)

turning point

Jpg
人生は何かのきっかけで変わることがあるようだ。
(写真は旧神戸商船大学の山下先生を取材したときのもの)

ヨットに本格的に興味を持ったのは椎間板ヘルニアと軽い脳梗塞で入院した頃だった。2ヶ月の入院後退院して大学でヨット部だった友人にお願いして琵琶湖で初めてセーリングを体験した。
このあとリオに1年滞在して「コカイン」を上梓したが、また腰痛で北野病院に入院手術予定が保存療養になり道後温泉病院に転院した。ここでの入院中に二作目を描き下ろすことになる。
この頃は入退院の繰り返しで92年のマレーシアでデング熱を発病してバンコクに戻り入院。帰国即桃山病院の隔離病棟に強制入院させられた。
当時日本人デング熱患者は珍しく医者が毎日発疹した部分の撮影や血液検査をしていた。この入院中はおいらは「デングさん」と呼ばれていた。デング熱にはその後タイ南部でもう一度かかった。デング熱に2度やられた日本人は珍しいらしいが、デング熱には4種類があるらしい。抗体は2度できたが残りの2タイプが残っている。蚊に神経質なのはこのせいである。
話が病歴になったついでに2001年は突発性難聴になり逓信病院に入院している。
ステロイド点滴治療で軽い躁鬱になったらしい。らしいというのは担当医がステロイドの後遺症に躁鬱があると言ったからだ。その担当女医はおもしろい人で、退院後は日本語を聞けない所で療養しろと、インドはアンダーマン諸島を勧めた。その勧めでインドに飛んだ。現地滞在2ヶ月ほどですっかり回復した。それからは海外取材や日本でも記事を書き続けた。
しかし、そのような生活に漠然とした不安に襲われた。つまり、このままここで老いぼれてくたばる恐怖である。そこで1年ほど琵琶湖のヨットスクールに通いセーリングを学んだ。ヨットにはブルーウオーターという船上ヒッピーみたいな生活があると知っていたからである。
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ヨット探しの旅にでた。
米国はLAからサンディエゴ、二度目はマイアミ、だが、縁がなくぶらりと訪れた Langkawiで売り出されたばかり船に出会い購入。それから6年ヨットライフをすることになる。
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ヨットライフはアップとダウンの繰り返しだった。怖いし辛いし、愉快でハッピーでもある。その代わり、いろんな人たちと素晴らしい出会いもあった。
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こうしてこれまでをなぞると、いろんな場面がturning pointになったようだ。そして、今、最後と思うturning pointを迎えている。それは、またぞろこのままここで老いぼれてくたばる恐怖である。
ヨット探しをしたように今回は隠遁場所探しである。海外はバンコクに出来た。あとは国内の地方都市である。どちらにしても、これからも自由な人生を求めて、巡礼の旅を続けさまよう。それが惨めな結末を迎えようとも、ぬくぬく生きるよりはおもしろいはずだ(^O^)

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