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2017年5月 1日 (月)

Amazing Thailand

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初めてタイを訪れたのは1970年代だった。

40年前ほどになる。当時は1バーツが30円(現在は3円ほど)もしたので貧乏旅行者にはきつかった。おまけに今では信じられないだろうが、70年代は反日ムードであった。日本企業が進出して日本製品を売りまくっていたのである。タイの知識人たちはタイが日本に食い尽くされると危惧したのである。人気ロックバンドも反日的歌詞をつけて歌っていた。
トクトクの運転手から乗車拒否されたこともある。知り合ったタイ女性から日本語を話してはダメと言われ投宿していたマレーシアホテル(ヒッピーの安ホテル)からほぼおなじ宿泊料でプールのあるホテルに連れて行ってくれた。
マレーシアホテル界隈だが麻薬密売人がたむろしていた。彼らは悪徳警官とグルになり薬物を売りつけた相手の部屋を警官に調べさせ薬物を見つけ賄賂を要求した。賄賂を支払わなければ警察署に連行される。裁判など面倒なので賄賂を支払うことになる。
このようにハメられた外人旅行者の多くはジャンキーだった。中華街では外人ジャンキーがダンボールに「国に帰るお金がありません、カンパしてください」と書いたプラカードと一緒に路上にへたり込んでいた。当時はベトナム戦争中でハードドラッグはヘロインだった。
タイ北部はアヘン栽培で知られた黄金の三角地帯がある。そこで生産されたチャイナホワイトと呼ばれるヘロインはコカインと同じように鼻から吸引する。しかし、最期は注射で入れることになりジャンキーになるのだ。
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Pattayaビーチ沖には米軍空母が係累され、休暇中の米兵が町を闊歩していた。Pattayaは米兵の保養地として発展したのである。
(Pattayaはいまもあらゆる風俗店がある。元気なギャルの多くはヤーバといわれる覚醒剤を使用している)
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しかし、地方はのどかで親切な人に恵まれた。漁村や農村では食事などで歓迎してくれた。もっともベトナム戦争が終結して大量の難民が出た時その難民を襲ったのがタイの海賊である。彼らは元々は漁民だったのである。
(写真はピピ島から小舟で運んでもらった無人島)
わがタイの魅力はタイフードである。
タイ料理は五感を刺激する。その味を脳が記憶する。もち米は指先でちぎり丸めて口に放り込み、タイ野菜の噛む音と舌の上の香辛料。それらの全てが南国にいることを思い知らせてくれる。いわばタイフードジャンキーになってしまうのである。タイ人観光客が日本に持ち込むのがタイ醤油(ナンプラー)と香辛料である。タイにイデオロギーがあるとすればこれではないか。
タイのおもしらさはインドシナ諸国が英国や仏国の植民地にされていくなかで独立を保った国柄にある。その理由は諸説あるのだが、タイは植民地不合格と列強が判断したからだと思う。Yachtライフで6年ほどタイに滞在してタイ人と付き合うのは難しいと認識させられた。難しさだが、こちらの思い通りに事が運ばない。何事も相手の都合で事が運ばれるのである。そして何事か問題が起きても「マイペンライ(無問題)」ですませる神経である。これらがTHT(This Is Thailand)というのである。
タイトルにAmazing Thailandとしたが、これはあくまでも観光客としてタイを訪れた時のコピーである。タイは日本以外で住みたいと思った国であったが、観光で訪れるのいいようであります。

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