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2017年4月24日 (月)

Delusion

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過去が未来を決める、らしい。
(コラージュは小説「コカイン」に挿入したイズタニケンゾウさんの作品)

歴史のことである。歴史「過去」を紐解けば「未来」が分かるらしい。そのことを「現在」から未来「予想」する。予想というものは競艇予想と同じで外れることが多い。
何度か書いたが「人生には(上り坂)や(下り坂)に(まさか)がある」のだそうだ。この台詞は誰かの結婚披露宴に参加した時にどこかのオヤジが話していた。人生も歴史も(まさか)の繰り返しである。
歴史は繰り返す。
これは人間という生き物が別質のモノに「変化」しない限り同じようなことをするという意味だと理解すれば分かりやすい。つまり、同じ失敗をするようなものだ。そもそも完璧な人生はあり得ないように完璧な歴史もない。人類の歴史は戦争に明け暮れた。(平和は次の戦争への備え期間にすぎない)これはクラウゼビッツの書いた戦争論の一説である。冷徹な分析によれば「理想は不可能の要求」となる。理想は「完璧」な「素晴らしさ」を求める。これは実現されることがないから「理想」というのだ。
どこかで「妥協」するのが現実的だ。
理想の人間関係といわれるものであれ、どこかに「妥協」が存在する。この妥協を無視したときに「まさか」が起きる。妥協は譲り合う気持ちで事故はゼロというようなものだ。だが、人の気持ちは計り知れない。例え、それが独裁者であれ大統領であれ同じ人である以上分からない。わからないことをあれこれ「予想」する連中の話は予想屋と同じである。未来に「起こった事」事実を語れるのは「現在」でしかないから全ては「過去」になる。ようするに「たられば」が未来である。
過去が未来を決めるということは「確定した事から過去を分析する」ということでもある。歴史は個人史であれ同じ性質だ。どちらも自国や自分に都合よく分析する(^O^)。
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さて、歴史は過去をなぞる作業である。
歴史小説の面白さは作者の「妄想」の完成度の高さによる。「たられば」を歴史的「事実」に描いてしまう筆力でもある。最近は読みたい小説がないので昔に読んだ歴史小説を読み返している。学生時代に読んだ同じ小説が全く違う小説として読めるのがおもしろい。
人に歴史あり、というから、過去に出逢った人たちもそれぞれの歴史を作ってきたはずである。彼らも今ある姿に「過去の(決定)が未来(今)を決めた」と感じているのあろうか。それとも「確定した事(今)から過去を分析して」あのときに「たられば」を付け加え、ああしていたら、こうしていれば、また違った人生を送っているのではないかと。それは不可能を要求した「理想」であり「夢想」にすぎない。そのような「妄想」は歴史小説と同じように楽しむ他ないのである。
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(写真は今年のボクシング合宿中訪れたセブのインドレストラン「ボリウッド タンドリー」)
巡礼の旅先では現実には起きていない「妄想」を楽しんでいることがよくある。また「幻覚」もある。幻覚はそれようの(^O^)クスリの作用によるのだが。どちらも「脳」の愉快な作用である。しかし「妄想」「幻覚」を「現実」と確信したときに悲劇が起きる。シャブ中(覚醒剤中毒者)やストーカーなどであろう、また独裁者でも起きる。だって、にんげんだもん、(^O^)
さて、わが妄想は時間経過と共にそのかたちが変化する。それらは現在的時間が少なくなるにつれて未来が縮小された妄想になる。
これらの妄想は過去に訪れたチベットやインドやネパールでの体験に基いている。それは鳥葬されて空を飛んでみたり川に流され灰になったり煙になった自分の姿を観るのであります(^O^)。

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