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2014年9月22日 (月)

ポルノ

2002年に日刊スポーツ(東京)から連絡があった。編集委員だったUCYMさんからだった。

東京に来ることがあれば飲みましょう。そのようなたわいない話だった。双葉社と次作の打ち合わせの「ついで」にUCYMさんと再会を果たした。再会場所は日刊スポーツ近くの寿司屋だった。そこに文化部長のHSYMさんがやって来た。
「タイトルは決めてあるんだ。世界の下半身。どうだ、いいだろう」「ン?!」
UCYMさんは人柄の良さがにじみ出ている人でにこやかに笑っている。
「まあ、そいうことで、100行記事で締め切りは木曜でよろしく」
HSYMさんは慌ただしく焼酎を飲んだあとこう言い残した。
「ここの寿司は高いんだぞ」
これは連載を断るな、締め切りに遅れるな、という「脅し」である。
UCYMさんと二人になった。
「こはだ、は、どうですか」「大阪のバッテラが好きなんで、これもいけますね」「板さん、こちらにどんどん握って。それと白ワイン。南雲さん、ワイン好きでしたよね」「はい」」「乾杯」「あのぉ、ポルノて」「南雲さんは世界各地を旅されてるし、そこでの話に、ちょっとHな話を入れてもらえばいいんじゃないですかね」「セックス描写は書いたことがないんですが」「まあ、そこは、物書きの自由な発想で描けばいいと思います」〆の干瓢巻きがでた。うまい。「では、書いてみます」
なんとも頼りない決意表明であったが、帰阪してから数日は後悔した。全く書けないのである。馴染みのホステスを呼びつけた。Hシーンについてあれこれ問いただし、知り合いの女友だちにも質問メールを送った。これらの行為は仲の良い関係だからアホちゃう、で済まされたが立派なセクハラだった。
ポルノで男が求めるのは「愛」ではなく「快楽」なのだ。恋愛とは異次元なものである。
(男「読者」求めているのは女として人格ではなく「セックス」なのだ)
しかし、行為は同次元なのである。
ラスト小説のために書き残していたメモを整理している。メモの中にポルノメモがあった。
(女はバスロープをはおって窓際に立っている。窓から入り込む月光が彼女を影絵のように浮かび上がらせた)これなどはロマンポルノであるが、これでは編集者も読者も納得しない。
(彼女はペニスを自分が最も感じる角度に挿入したあと頭を後ろにのけ反らせ、少し開けた口から熱い吐息をもらした)連載が続くに連れ表現もエスカレートする。
(濡れすぎているにもかかわらず締りがいい、膣壁が蛇腹のようにペニスを膣奥に吸い込むのだった)
これなど男が求める理想だと描いた。断っておくが、これらは体験ではない。ファンタジー(妄想)である。
さて、恋とはただひたすら恋した相手がが欲しくなることである。
その結果としての喜びがある。快楽とは相手に関係なく得られるモノである。
それでもポルノがおもしろいのは、そこに男女の悲喜劇が展開されるからである。6年間書き続けたポルノで思い知らされたことはどのような感動快楽も人間を越えることはないということである。
ラスト小説はポルノ風にいえば、なんとなくイキそうな気持ちで、ゆっくりイッて、ゆっくり下降線をたどり、余韻を楽しむ、そのようになればいいなあ、と思い今夜もPCに向かいワインを飲んでいるのであります。

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