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2013年6月19日 (水)

夜更かししてみた

早寝早起きだが、たまには夜更かしして物思いに耽りたくなる。

例えば、透明過ぎる硝子は目に見えないように、目に見えるものしか信用しないつもりでいても、見えない「事象」がある。その事象を考え過ぎるのは「ワル勘」になるし、また「出来心」でしたと悪事を続けていけば完成された「狂気」になる。もっとも狂気にも正しい狂気があるのだが、それはさておく。
明日は雨だからジムを休むことにした。
いまはWhiskyを飲みながらわがココロをなぞっている。
予期せぬ相手から幸福ですとのメールが届いたりすると、いいね!としたいところであるが、何故か疲れるのはどうしたことか。
単純に幸福であるというメールを浮薄なものとすればいいのだが、その向こうに陰気な表情を見てしまうのである。つまり悲劇を喜劇にすり替えているのではないかと推測するのである。
そもそも幸福など長続きしないものではないか。これはイジけた心情であろうか。
メールであれ原稿であれ、行間を読ませるテクニックはハードボイルドの常套手段である。
襲いかかる言葉も嫌いではないが、どちらかといえば、ふとしたありきたりの一瞬をすくいとる文章が好きだ。
悲劇はよくできたお話で、喜劇はさらによくできたお話になる。
神サンは人に笑う権利を認めておられるから。悲劇より喜劇が尊いといえるのではないか。
喜劇を成立させる要素に「勘違い」や「思い込み」が前提としてある。
女は男の嘘を見抜くのが得意であるが、男はそうもいかないから笑いでごまかす。この「差」が喜劇になる。
恋の悲喜劇である。
前述の勘違いは笑いになるが、思い込みはストカー事件に発展する。
思わせぶりな台詞が悲劇を招くことがあるし、堂々と確信に満ちた態度に喜劇が生まれたりする。
今夕は馴染みの中華で冷麺を食べていた。
マスターが「(あんたの人生で)もう思い残すことがないでしょう」とぬかすもんだから「うん」と答えておいたが、どっこい、思い残すことは山ほどある。
ただ、この山は欲望と同じく果たしなく高いのである。登っても登っても頂上が見えないのだ。もし、頂上が見えてしまえば欲望は瞬時にしおれてしまうのではないか。
前にも書いたが、友人(長谷川)の父は放蕩の限りを尽くしたあと「もっと遊んどいたら良かった」と言い残して逝かれたそうだ。


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