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2013年6月21日 (金)

不良回帰線

英文に「No man is wiyhout enemy」がある。

これは男には誰れもが敵を持つということだ。
これからだという男の人生において敵があるほうが生きやすいのだが、老いぼれると「生きる」ことと「生活」が共存し始め「敵」が見えなくなる。
そこで「自分が敵だ」とする。
これが手強い。なにしろ敵が自分であるから倒せば自分自身が壊滅するし、手心を加えてやると増長する。
ならば「女が敵だ」とする。
これも実に手強い。相手から誘っておいて約束は守らない、連絡はしてこない。このように人格の体をなしていない女を敵にすると消耗するばかりである。この消耗感や寂しさが「やきがまわった」である。
まっすぐな不良にはこのような消耗感はないのだ。あるのは潔い喪失感だけである。
老いぼれると「生きる」ことと「生活」が平和共存し始めると書いた。元来「生きる」ことと「生活」することは反発しあう敵同士なのである。
ところが、老いぼれるとあるかないか分からない将来を憂い安全安心生活設計を描くようになる。
あの女となら共存できる、一緒に暮らしていける、などとほざく夢遊病者になり果てるのだ。
生き方が生活を破滅へと追いやることもあれば、生活が生き方を抑圧させることがあるのは敵同士という証左に他ならない。
にもかかわらず妥協点を見出したかのように平和条約を結び安堵するのが老いぼれた現象である。研ぎ澄まされた感性は曇り、ギラギラした欲望は湯引きされてしまうのだ。
そこで必要なものは孤高なる精神である。
これこそが男の伴侶なのだ。
おいらは改めて不良へ回帰することにした。つまり、欲しいモノより、したいコトへの回帰である。happy01

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