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2012年11月15日 (木)

おとなの時間割

連載をしている時は締め切りがあったから

締め切り日から逆算する日常であった。いまは仕事もヨットライフもやめ無職徘徊単独老人になり、孤独死が人生の締め切りになった。ここから逆算して「今」を生きているわけだ。
フェースブックは孤独死していないことを知らせるツールである。
おいらは朝の30分ほどFBをチェックするだけにしている。このようなSNSはややもすると依存症になるからだ。が、FBやこのブログがなんの告知もなく1ヶ月更新されなかれば逝ったと思ってもらえばいいだろう。
人生は時間だと書いた。
時間は秩序である。秩序は自然だ。だから、人類がどうなろうと、そこには自然がある。
自然には感情も知性もない。駅がきたから停まるのではなく、停まったから駅だと認識するようなものだ。
老いていく境遇は変えられないが、それに対する見方は変えられる。
そうしないと自分が消耗するばかりか他人をも不快にする。気が合いそうにもないと感じた人とは時間を共有しないのは、お互いのため、なのだ。
もっとも、魅力というのは抗えないし、それに翻弄される苦しみを楽しんだこともあった。恋である。
人生には時間割のようなものがあって、それに従って学んできたような気がする。
ただ、学んだことがすべて理解できたわけでなく、むしろ永遠に不可解な事象を秘めているものが多いのではないか。女である。
ラスト小説でそれを解き明かしたいと思い共通しそうな内的経験を描こうとしたが、やめた。
ただひたすら自分のために書けばいいのではないか。割り当てられた人生の時間は限られてきている。だからこそ、時間割を作り自ら追い込まないと完成しない。おとなの時間割は子供の頃とは真逆の時間割であります。

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