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2012年11月 5日 (月)

思考と行動

このブログを開始したのは04年。この8年で世の中は随分と様変わりしたが。

それよりも我が身の変わり様に呆れる。そもそもが「がさつ」であるから、何事に対してもなげやりになってしまう。これは学生時代、物事は過程が大事であり、結果はどうなっても構わない、という態度が身についたことによるのではないか。
飛行機免許も取得までの訓練や学科(グランド スクール)が興味深いのである。2ヶ月かかって免許を交付してもらいキャプテンとしてハワイの空を飛んだのは2度しかない。日本では1度。それから飛んではいない。
ヨットライフだが、船探しの旅が楽しかった。自分のヨットを持って一生プカプカするつもりだったが、修理とメンテにげんなり、たまの航海ではエラい目に遭い、海が怖くなり船を売り払い陸に戻った。
好奇心は旺盛なほうだろう。
考える事よりは行動が好きである。行動は努力が不要だからだ。
何事も結果はどうなるか分からないから、結果を求めても意味がない。このような態度で思いついたが百年目とばかりにリオに飛んだ。その結果、南雲海人になったわけだ。このような結果を求めてブラジルに渡ったわけではない。
恋や結婚も破局するためにするのではない。だが、破局もするし離婚に至ることもある。これは望んだこととは違う結果である。博打のように丁半はサイコロを振らなきゃ出ない。
リオで何度か遭遇したヤバいシーンでも、自分だけは死なない、とか、大丈夫だと、思い込んだ。その結果はこうして無事だ。ラッキーというほかない。
画家だったか、人生は芸術だ、と書いていた。確かにアートは頭を働かせて理解するものではない。ココロで感じるものだ。行動も同じである。だが、行動を支えている肉体が老いぼれてくると動きが鈍くなり、その結果ココロまでもが錆びつくのである。
行動の敵は能書きと言い訳だ。黙ってモノを見たり、つまらん話を聞かされるのは我慢ならない。
カラダが思い通りに動かないと、この言い訳や泣き言がのさばり実に惨めな気分になる。
老いぼれていくと孤独になるほうが精神衛生的に良いのであろう。ボケてしまえば、いやなことやつまらんことから解放されるからだ。ボケ老人にはまだなっていないが、案外、あれはあれで居心地がいいのかもしれない。それとも行動できなくなった肉体の代わりにボケのふりをして人生を楽しんでいるのかもしれない。どちらにしても、人は土に還ることが「結果」なのだから、大いに安心して残り少ない「過程」時間をエンジョイするほかない。

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