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2012年10月23日 (火)

季節

鎮痛剤を飲んだあと読書すると眠くなるので

こうしてつらつら書いている。運動をしないで昼寝をすると夜になってもねつけないのだ。
そうなると情操的になり抽象的な問題ばかり気になって仕方がなく朝を迎えてしまう。
あさは好きだが徹夜明けの朝は「あさ」ではない。
ついこのまえは隣のお寺からの蝉しぐれでめざめ、そして今朝は秋の嵐で脅かされた。
季節は肌と音と色と香りで感じるものだ。
学生の頃、読んだ詩集は外国モノだったが、歌集も好きだった。
万葉集や奥の細道など季節や情景が浮かぶ文字とリズムが自然とココロのなかに忍びこんできたのである。この感覚は仏人のランボーなどの詩の読後味とは違う。和食をいただいたような身に馴染んだ味である。
話を変える。
松の廊下事件で切腹を命じられた浅野内匠頭の辞世の句は「風さそう、花よりもなほ我はまた、春の名残を如何にとかせん」である。この句は忠臣蔵でなければ普通の句にすぎないが、日本人の情緒は事件性からこの句に美意識を注入するのである。
葉隠の著者は「武士道とは死ぬことと見つけたり」と書き、恋は「忍ぶ恋が最上」とした。
横文字がない時代である。いまなら「どMでんなぁ」となるのかもしれない。美意識も「ナルシストや」で片付けられるかもしれない。
NHKで「つながり依存症」を取り上げていた。SNS「中毒」になった人を取材した番組である。FBでは「いいね」の数が気になり、書き込んだことにコメントがつくのが「快感」になり、やめられないのだそうだ。このよな人は他のことにも依存症になるのではないか。
おいらに依存症があるとすれば季節であろう。春に恋して、夏に浮かれ、秋に黄昏れ、雪に冬眠する。てなことで、辞世の句を考えてみたが、いいのが思い浮かばないので、これはまたの機会にすることにした。

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