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2012年8月24日 (金)

書く行為

8月は読書に向かないようだ。今月は数冊を斜め読みした程度である。

読む行為に対して、書く行為がある。
書くというのは文字を残すわけで、それがどのようなものか読めばわかる。
ある文章は情熱の跡であったり、また怨念の記述であったりする。また、こういう生活をした人間がいたということを書き残していたりする。つまり書き残すというのは原因と結果の連続にほかならないのだ。
最近はFBで「今日のおさらい」を書き続けている。
これはボクシングの復習である。習ったことを忘れないように書き残している。この場合の書く行為は学習である。
学生の頃は遠距離恋愛であったのでよく手紙を書いた。(当時はPCもないし、据え置き電話を持っている学生などいなかった)
おいらは大学の教室でラブレターを書くことによってココロが昂ぶり、たかぶりはさらにペンを走らせたものである。
書く行為は話すのとは違う。(開高健は話し言葉がそのまま文章になった稀な作家である)書くという行為は言葉で語り尽くせない部分を文字で埋めるのだが、たまに、自ら仕掛けた罠に陥ったりする。
俗ぽっくいえば、青年は青春の犠牲になるというわけだ。
つまり、若さというものは感情を節約できないのだ。政治家どもの能弁に若さはない。あるのは狡猾だけだ。
話が逸れそうだ。
この年になると、耐えることの必要性も覚えたし、赤の他人に同情するのびやかさも身についた。それと同時に透明な正義感は濁り、犠牲を強いる貪欲さを持つようになった。こうして、このようなことを書く事によって心に滲んでくる後悔は嫌だが、救いになるのも事実である。
書く行為は快楽をもたらすこともあるし、抑圧された情熱のはけ口になるし、屈折した自己表現もあるだろう、それらも全てはあらがいようのない魅惑なのだ。だから人は書く行為をやめられないのであろう。おいらもやめられないとまらない、のであります。


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