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2011年12月 8日 (木)

自画像

381425_296757413697656_112397672133いまの自分を動物に例えるとこの写真になった。

おいらには放浪癖と逃亡癖がある。嫌なことや、辛いことは他人や自分の弱さのせいにして、トンズラをかますのである。
そのくせ、いいとこどりできるときは胸を張って目立とうとするのだ。卑怯で狡い行為である。
臆病で怖がりの自分がそうさせるだと分かっているからますます自己嫌悪になる。
根が寂しがり屋である。
自己嫌悪を忘れるには気軽な人や気のいい連中と交わり羨ましがられていい気になって酒に逃げる。
実におやすい生き方である。
このような自分に対する嫌悪感を煮込んでいくと自分に憎しみが沸いてくる。
趣味が自分、自分が大好き、と言い切る人が羨ましい。おいらにはそれがない。
コントだったか、自分のココロの中に悪魔と天使がいる、という設定だっただろうか。
おいらのココロには天使はいない。だから天使を求めるのだが、天使はこの世に存在しないわけだ。
しかし、悪魔は確実にいる。戦争に犯罪。天使がいればこのような事は起きるはずがないではないか。
話がそれた。
自己嫌悪する自分を分析するとマイナス思考のスパイラルに落ち込みクルクルクルと目が回りぼやけて何も見えず、何も聞こえない。聞こえるのは悪魔のささやきであり、見えているのは幻想妄想である。
しかし、そのようなパラノイアを「カン」と勘違いして推測推論を重ね「現実」と見てしまうのである。このようなワル勘や疑心暗鬼から生まれた「事実」は砂上の楼閣であり虚構であるのだが、気弱になっているときは「現実」と映る。これは被害妄想でありフラッシュバックでありアルコール性凶暴症である。
これまで正直に生きてきたつもりだったが、どうやらそれも怪しい。
卑怯で狡い自分にだけ正直だったのではないか。
臆病だから自分が傷つく前に相手を傷つけて逃亡する。逃亡先で安堵して後悔して反省したあと、またぞろ同じ事を繰り返すのである。学習能力がないから再犯率が高くなる。
やられるまえにやれ!
しかし、やられるというのは妄想であるから、やられたものはいきなりのことで、なんのこっちゃ分からない。
犯罪理由は様々だ。リオの貧民街で「盗むほうが盗まれるより辛い」と泥棒から聞いた。彼は犯罪を職業に選んだのである。それ以外に生活の手段が見つからなかったのであろう。その一方で犯罪を趣味にして楽しむのがいる。
話しを戻す。
男には自己愛なるものがあるというが、おいらは自分を愛せない。薄ぺらいカッコだけをつけるチャラ系である。そのように自分を愛せないものが人を愛せるだろうか。
若いころ、自己否定から出発したつもりだったものが、他人否定であったのだろうか。
自己批判することによって自己が確立すると単純に考えていたのだろうか。
愛すること、愛されれることを求めながら、それらを拒絶する矛盾から脱しきれていないのではないか。物語を書く作業は夢想への逃亡ではないのか。
男は孤独に耐え、恐怖に打ち勝ち、試練を乗り越えるものである。男は闘ってなんぼだ。
そう信じて海の男になろうとしたが、ヨット一人航海は寂しく、海は怖く、試練に耐え切れず、闘いを放棄した。バチモンの海の男でしかなかったのである。
羨ましがらせてやろうと、これまでしてきたことを、素直に羨んでくれる人がいる。しかし、おいらは自分を愛せないから、羨ましことなどひとつもなく、ただ、その時に体験したことを自慢話にしているだけである。
羨ましがった人がおいらと同じ事を経験すれば、なんや、こんなことかいな、とガッカリすることである。
物を書けなくなったのは自分に書く才能がないと思い知ったからだ。
死ぬまでに2作品を書き残すと公言して、挑んだが、どうしても筆が、指が、考えが止まる。
こんな時、おいらの本を編集してくれた真井さんがいれば、どれだけ救われたことだろう。我々はおいらが南雲海人になる前から知り合っていたのだ。だが、彼は2年前に癌で他界した。誰よりも南雲海人を理解してくれたし、おいらも甘えることができる人だった。
自信もなく不安な気持ちでは闘えない、物も書けない、愛せない。酒に逃げこみ、妄想幻聴に牙を向く。情けなくみっともない。これが、南雲海人か、しげちゃんか。
おいらは自分に甘いゴロツキだ。こうして書きながら覚醒した精神はナイフの刃先のように尖っていく。こいつを自らの精神や肉体に突き刺せることができたらどれほど楽だろう。
未練と覚悟が合流して精神に渦巻きを作っている。グルグルグルグルゴーゴーゴー。誰かここからすくい上げてくれまいか。おいらは疲れている。

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