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2011年10月13日 (木)

ミック・ジャガーのバンドSuperheavy

そのアルバムの曲にある「Hey captain」は Where are we nowとリフレーンする。

旅をすると、たまに、どこにいるんだろう、なにしてんだろう、と想うことがある。
その感覚は大阪にいても出ることがある。おいらはどこにいるんだ、そして、どこへ向かうのだろう、てね。
おいらがバチモンでもCapt(船長)だったとき、海図がありGPSがあったから目的地まで航海できたのである。
この場合、目的地があるから海図もGPSも役に立つのだが、目的地がない航海の海図とGPSは自分の位置を知るだけである。ふむふむ、おいらと船はここにいるのか、てね。
人生の海図も、目的があるときはクリアーに読めるのだが、目的を見失った時、海図の意味はなくなる。精神的な漂流である。孤島にたどり着いたロビンソンクルーソーのような生き方は人生と呼べるののだろうか。人には愛しい人や友がいて初めて人生といえるのではないか。愛しい人を「神」と置き換えてもいい。つまり、信じられる「存在」が生きる糧になるのではないか。
労働でも、エンタメでも、モノを書くことでも、いや生きているだけで、人と交わることで、人を幸せにすることができるのではないか。大切なのは自分に素直に人に正直に生きることではないのか。小手先だけでは人生という航海は必ず座礁する。
おいらの人生航路はどこへ向かうのだろうか。Captだったくせにそれが分からない。やはりバチモンの海の男であった。
ものを書いている。
12月までには書き上げようともがいている。バチモンでもモノ書きのはしくれだ。書ける。そう自分に言い聞かせ、励ましている。初めて単独航海した時の気分である。初心とは怯えるココロの有り様である。それとも武者震いなのであろうか。どちにしても、ボクシングとモノ書き。文武両立を目指したい。バランスである。これが崩れるとCaptは海ゆかば、となるのであります。

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