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2007年11月23日 (金)

母のざぶとん

Hp_scands_7112210581717小学校の運動会。地下足袋で走った。

Hp_scands_7112210591522幼稚園の徒競走。南雲は母の運動神経を引き継ぎ、足は速かった。小学校の徒競走では母に手を振る余裕があったほどである。あーちゃんは一等賞になった息子を近所の人に、この子ゆうたら、こっちに手を振って走りましてん、と自慢した。
Hp_scands_7112210511112中学2年からサッカー部に入った。色違いのユニフォームが南雲。中央で下を向いているのが一緒に高校までサッカーを続けた仁興。
中学1年生の時は仁興と一緒に野球部に入ったが、部員が多く1年生の俺たちは球拾いのその外側の球拾いである。キャッチボールすらまともにさせてもらえなかった。
仁興から、これはあかんで、試合にでられへん。当時の明星は甲子園に出場したり、全国優勝をしていた強豪校である。
母にサッカー部に入ったことを伝えた。スポーツ万能を自負するあーちゃんだが、サッカーがどのようなスポーツか知らなかった。
昭和40年代の全国高校サッカー大会の決勝戦は靱公園であった、そのあと長居になった。テレビ中継はNHK教育で決勝戦のみ放映された時代である。
母にサッカーを知っているかと聞いたことがある。
「知ってるがな、ボール持って走るやつやろ」
ラグビーとごっちゃになっていた。
高校1年のサッカー部時代は「地獄の季節」であった。仲間の何人かは退部していった。夏の合宿では倒れる部員が続出する。その年の国体全国大会は優勝したが、それだけに練習は厳しかった。
何度も辞めようと思った、そのたびに母からケツ割るのか、しっかりせい、男やろ、と叱咤激励された。
仁興も同じである。練習のないテスト期間中も彼と靱公園まで走った。5キロほどある。そのついでの公園で覗きをしようとしてベンチの後に歩伏前進したところで、覗きのおっさんと鉢合わせた。
母は「ざぶとん」を作ってくれた。当時のGKにはパットの入ったユニフォームがなく、グランドは土であり、セービングすると腰骨などを打った。それをプロテクトするのが小さな座布団である。Hp_scands_7112313174220南雲は垂直跳び70センチほどあった。身長がないぶん、ジャンプ力をつけることにしたのである。
学校での練習が終わったあとも個人練習をしたし、家に帰ってもジャンプをしていた。色が黒ければマサイ族である。このようなセービングができたのも母の作った「ざぶとん」のおかげである。

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